倍賞美津子さんと言えば、渋いハスキーボイスが特徴的なかっこいい女性ですよね。
女優としても沢山の映画やドラマに出演しています。
そんな倍賞美津子さんってどんな人なんでしょうか。
結婚歴やお子さんについても調べてみたいと思います。
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倍賞美津子 生い立ちと経歴
倍賞美津子さんは、1946年11月22日生まれの71歳です。
70歳を超えているとはびっくりです。
茨城県で生まれますがすぐに東京都北区に移り住みます。
お姉さんは倍賞千恵子さん。女優として活躍されていますね。
弟さんは倍賞鉄夫さん。
プロレスのリングアナウンサーとして活躍されていましたが、
2017年68歳の時に脳梗塞を患い亡くなっています。
倍賞美津子さんは地元の中学校(北区立紅葉中学校)を卒業後、
松竹音楽舞踊学校に入学しました。
そして、その後松竹歌劇団に第18期生として入団します。
松竹歌劇団とは宝塚歌劇団のライバルのようなもので、
歌劇を演じる女性の団体の事です。
入団した年に「東京踊り」でデビュー。
新人賞を受賞しました。
華々しいデビューを飾り、
その後も浅草国際劇場を中心に舞台で活躍されていました。
1967年には実の姉の倍賞千恵子さんと映画「純情二重奏」で異母姉妹役として共演を果たします。
姉妹ともに活躍されていたんですね。
その後、松竹に入社しました。
デビュー作「喜劇・女は度胸」以来、森崎東監督の作品に出続けています。
そして、順調に松竹の看板女優として活躍していきます。
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倍賞美津子 結婚歴
人気女優となった倍賞美津子さんですが、
1971年25歳の時にプロレスラーのアントニオ猪木さんと結婚しています。
今となっては知らない人の方が多いのではないでしょうか。
倍賞美津子さんとアントニオ猪木さんが夫婦だなんて、
想像できないですよね。
しかし、当時は結婚式の費用が1億円!と話題になりました。
京王プラザで招待客1300人!
さぞ豪華な結婚式だったのでしょうね。
そんな二人の出会いは結婚する5年前の事でした。
二人を出会わせたのは、アントニオ猪木の名付け親でもあるプロレスラーの豊登道春さんでした。
豊登道春さんはかねてから倍賞家と親交があり、
松竹歌劇団ファンだった猪木さんに新人の倍賞美津子さんを紹介したそうです。
その後、二人で食事に行くなどしていましたが、一度疎遠になってしまいます。
しかし、3年後猪木さんはふらっと倍賞家を訪れます。
倍賞美津子さん人に頼まれたサインを貰いに来たそうです。
それからまた二人は急接近し交際がスタート。
2年後結婚されました。
1974年には娘さんが誕生します。
1976年にアントニオ猪木さんがモハメド・アリと対戦した際も、
陰で支えていたという倍賞美津子さん。
とても仲の良い夫婦でした。
しかし、幸せな日々は終わり80年代に入ると、
猪木さんは色々な事業に手を出しては失敗を繰り返していたそうです。
さらに、猪木さんの不倫が発覚。
その頃から、二人は仮面夫婦のようになってしまったそうです。
倍賞美津子さんも荻原健一さんとの不倫を報道されています。
そして、1988年に二人は離婚しました。
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倍賞美津子 娘はアニー?
アントニオ猪木さんとは残念ながら離婚してしまった倍賞美津子さんですが、
二人の間にはひとり娘さんがいらっしゃいます。
娘さんは「猪木寛子」さんと言います。
寛子さんは幼い頃、ミュージカルー「アニー」で、主人公のアニー役を演じたことがあるそうです。
しかし、その後は特に芸能活動等はされておらず、両親が離婚後は倍賞さんに引き取られ、ボストン大学に留学されています。
アニーと言えば、とても有名なミュージカルですよね。
オーディションもかなりの倍率だと聞きます。
それに合格したのはとても凄いことですが、女優の道は選ばなかったんですね。
現在、娘さんである猪木寛子さんは44歳になられています。
結婚して、アメリカのカリフォルニア在住だそうですよ。
気になるお相手は、新日本プロレスの元社長で、
現在はIGF(総合格闘技団体)の代表取締役をされている「サイモン・ケリー猪木」さんです。
なれそめ等は公表されていませんが、
お父さんのアントニオ猪木さん繋がりで出会ったというのが有力でしょうね。
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倍賞美津子の娘はどんな人?旦那はあの有名人!? まとめ
倍賞美津子さんについて詳しく調べてみました。
元旦那はアントニオ猪木さんでした。
そして、娘さんがひとりいらっしゃいます。
娘さんは芸能の道には進まなかったようですね。
しかし、旦那さんはプロレス関係の人です。
お母さんと趣味が似ているのかもしれません。
実は波乱万丈な人生を送っていた倍賞美津子さん。
今後の活動にも注目していきたいですね。